石州半紙について

重要無形文化財指定の経緯

寛政10年(1798年)に発刊された国東治兵衛著の「紙漉重宝記」によると、和紙という言葉のない時代、
石見地方で作られた紙は、石州の紙略称、石州紙と記載されています。
江戸時代は、藩の管理のもと、紙は、他の藩に販売を行い藩の貴重な収入源でした。

明治以後も農業の農閑期の副業として続けられ、明治22年には、紙を漉く事業者は、6377軒 存在していました。
しかし、第2次世界大戦終戦後、戦後復興の労働力不足を補うため出稼ぎが増え、冬場の紙漉きの労働者が不足、
機械漉きによる紙が大量に安価で出回るようになり、高く・品質が安定しない手漉きの紙は売れなくなりました。
こうして、事業者・技術者が廃業・転職し激減していったのです。
また、高度経済成長による若手労働力の地元から県外への流出が激減に拍車を掛けたと考えられます。

事業者数の推移
明治22年 6377軒
昭和15年 664軒
昭和23年  279軒
昭和33年  148軒
昭和40年   15件     重要無形文化財 石州半紙より(平成13年3月31日発刊)

この現状を見て、重要無形文化財の指定基準(昭和29年12月25日文化財保護委員会告示第55号)芸術上価値が高く、芸術に資する技術として貴重であり又は工芸史上重要な地位を占めるもので、かつ、地方的特色が顕著なもの として
「石州半紙」(せきしゅうばんし)が昭和44年重要無形文化財(文部科学大臣指定)の指定を受けました。
「石州半紙」(せきしゅうばんし)技術保持者は、当時10名(石州半紙技術者会会員)、現在は4名になっています。

「石州半紙」(せきしゅうばんし)指定の要件は、

一、原料は、こうぞのみであること
二、伝統的な製法と製紙用具によること。
・なぜ皮作業を行い煮熟には草木灰またはソーダ灰を使用すること。
・薬品漂白を行なわず、填料を紙料に添加しないこと.
・叩解は手打ちまたはこれに準じた方法で行うこと。
・抄造は「ねり」にとろろあおいを用い竹簀による流漉きであること。
・板干しまたは鉄板による乾燥であること。
三.伝統的な石州半紙の色沢、地合等の特質を保持すること。

昭和44年に指定以来、現在まで重要無形文化財「石州半紙」の指定要件の技術・技法を守りつつ、
技術・技法を後世に伝えるべく、後継者の育成に努めてきました。

ユネスコ無形文化遺産登録
2009年に重要無形文化財「石州半紙」(せきしゅうばんし)が、手漉き和紙ではじめて、
ユネスコ無形文化遺産に記載(登録)されました。

そして、2014年 本美濃紙 細川紙と共に、ユネスコ無形文化遺産の「和紙 日本の手漉和紙技術」で石州半紙は、
再登録されました。

 

 

 

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